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introduction

「手塚眞映像術 Visual Art and the Crisis of Capitalism」

2018 / Cinema 4K / color / stereo/ 160min

ヴィジュアリスト手塚眞の創作の秘密と、視覚藝術と資本主義の折り合いに迫る160分の

インタビュー映画。

1978年17歳での初監督8ミリ映画「FANTASTIC★PARTY」から、「UNK」「HIGH-SCHOOL-TERROR」「MOMENT」までの8ミリ映画、1981年の幻の企画「STORM」を経て、1985年24歳の商業映画デビュー作「星くず兄弟の伝説」、1999年37歳「白痴」、2004年43歳「ブラックキス」2018年57歳「星くず兄弟の新たな伝説」までの各作品について2時間40分に渡り、その創作の原点・演出
論・演技論を含めた視覚表現を演出技術という視点で読み解きながら、視覚藝術と資本主義の折り
合いについて語ってもらいます。

聞き手:三留まゆみ

編集・CG・脚本・監督:久保山努

 

撮影・グレーディング:北島直樹 

キーグリップ:大友昭彦 

音楽:高橋芽衣  

 

技術協力:有限会社アシスト 撮影協力:CINEMA Chupki TABATA 

音楽録音:Sutudio A-tone 四谷

製作:Multi Brains inc.

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もう、あれから1年になる。 

3月1日に春一番が吹き、その後は春めいた日が続いていたというのにその日=2018年3月7日は冬に戻ったみたいに寒かった。田端駅で降りて@シネマ・チュプキ・タバタへ。

はじめて訪れたその小さな映画館はとても居心地のいい場所で、私たちの小さな映画にふさわしい気がした。 

まこちゃん=手塚眞監督にインタビュー映画のオファーをしたのが2017年の初秋。

快諾の返事をもらってから、監督の久保山努くんと何度も打ち合わせをした。

彼が書き上げた脚本は驚くべき ボリュームで、すべての作品に触れ、後半部分には映像作家・手塚眞に関する大資料集(&画像)までついていた。

久保山くんはその脚本を1月下旬に手塚監督に送り、読んでもらっていた。

まこちゃんは一瞬にしてこの中身が一日やそこらでの撮影では撮りきれないことに気がついたに違いない。

彼は冒頭からからインタビューのこたえを、まだ聞いていない設問にまで広げ、大いに語ってくれた。

最終的には台本の約半分近くを残して時間切れとなってしまったが、私たち、いや、同時代を生きたかつての 自主映画少年少女たちが聞きたかったことへのすべての回答がそこにはあった。

それはまさに至福の時間だった。

怪獣よりも妖怪が好きだったという子ども時代に想いを馳せ(むかし聞いた「江戸時代の妖怪本の端っこに パラパラまんがを描いてお父さんに怒られた話」を思い出した)、チャップリン映画が手塚映画の根底に あることに驚き、中でも「ジョーズ」の音声を録音したカセットを繰り返し聞いて編集の勉強をした話は まさにまこちゃんならではエピソードで、頭の中ではなぜか彼と「殺しのドレス」のキース・ゴードン (「ジョーズ2」にも出てる!)が合体していた。

幼年期からはじまる映画、映像を巡る手塚眞の冒険と挑戦の物語は、その小さな映画館にいる私たちを興奮 させた。

「本当は『ゴジラ』だって『釣りバカ』だってやりたい」と彼がさらりといったときはもう全員が 両手を握りしめていたと思う。まさに「インタビュー映画」の醍醐味だった。

「FANTASTIC★PARTY」の「葉っぱ2枚」の上映会(MOVIE MATE 100% @豊島区民センター)ではじめて 会ってからもう40年以上の時間が流れて。

「お茶の子博士のHORROR THEATER」の22年目のアフレコ(DVD化のためのアフレコに子役以外全員が 集まった!)から17年、「MOMENT」30年記念上映会(同窓会)から8年。 「宝島」のインタビューで、ブライアン・デ・パルマ監督に開口一番「Students?」といわれた私たちは あのときのデ・パルマの年をとっくに越えてしまった。

けれども、まこちゃんはぜんぜん変わらない。 自主映画少年の魂を持ち続けて、マイペースで映像の冒険を続けている。

われらがデ・パルマ師匠と同じく。 この小さなインタビュー映画が動き出した2017〜2018年は時代がぐるっとひとまわりした年でもあった。 自主映画の大先輩であり、私たちの映画のお父さん的な存在である大林宣彦監督が(本当は「HOUSE」の 前に撮るはずだった)「花筐」をつくり、まこちゃんが「星くず兄弟の伝説」の続編である「星くず兄弟の 新たな伝説」をつくり、自主映画時代からの共通の友人である今関あきよし監督が原点回帰ともいうべき 「ライカ」をつくった。 どれも「われに撮る用意あり!」の先鋭的な作品だった。

そして、そのぐるりのしっぽ、いや、新たなる ぐるりのはじまりに位置するのがこの「手塚眞映像術」だ。 160分のインタビューに酔ってほしい。今まで観たことのない、経験したことのない時間がそこにある。

                                        三留まゆみ(イラストライター)

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いかにして〝対話しないインタビュー映画〟「手塚眞映像術」にたどり着いたのか

監督:久保山 努

 

この映画は解りやすさから〝インタビュー映画〟だと自ら喧伝している訳ですが、実際は作家が自作を 解説する映画で、対話するインタビューとは別物です。 そんな〝インタビュー映画〟をいつから撮ろうと思ったのか。ということを遡ってみると2006年に行き着く。

 

ちょうどその頃、テレビなどでのインタビュー番組に対して、腑に落ちない気持ちばかりが揺さぶられていて、自分なりのインタビュー番組が作れないものかと、映画評論家の松島利行をインタビュアーとしたオリジナルDVD用ロングインタビューの企画を松島さんに相談して書いたのが2006年の秋だった。

 

 “映画の演出”は、往々にして感覚や感性として捉われがちだけれど、実は“技術”という視点が欠けすぎているのではないかという個人的な見解をインタビューで炙り出せないかと考えて、鈴木清順・篠田正浩・川上皓市・木村威夫・降旗康男という人選でのインタビュー企画のブレストを、日比谷プレスセンターのアラスカや新宿三丁目のBURAで松島さんと繰り返した。

                

出来上がった企画は、当然のようにどこに持って行っても膠も無く、ぼんやりと頓挫した後に、企画をテレビ番組向けとして、2008年、2009年、2012年版と書き換えを繰り返したけれど、それでも結局実現することなく、いささか捉えがたい企画として宙に浮かんだままになっていった。

 

2018年に松島さんが逝去されたことを期に、商業的に成立させる手立てを考えること自体が無駄だったと理解し、自主制作で作るために改めて何をやりたいのかということを整理して4つのテーマに絞った。「作家本人の声で作品の演出技術を語ってもらう」「凡百のインタビューのように過剰な情報補完をしない」「インタビュアーが登場しない」「長呎のインタビュー」という、誰得なのか曖昧だけれど、自分にとっての価値が高い内容を目指して、映画評論家の三留まゆみと企画をリブートさせた。

 

最初に思いついたキャスティングは渡邉文樹で、結局はけんもほろろに跳ね返される事にはなるのだけれど、何通かの手紙と電話のやりとりの後、自宅のある郡山まで逢いに行った。

渡邉さんの意見としては「インタビューには意味が無い。言葉だけならいくらでも嘘が言えるから」という理由で、「本気で撮るなら家に住み込んで1年くらいの密着ドキュメンタリーを撮るべきだ」という至って渡邉文樹的な意見で迫られた。

本人が話すなら嘘にも価値はあると思うし…渡邉さんが望むようなモノはそもそも全く撮る気が無いのであっさり引き下がる。

そして次の人選に切り替え、シンプルに自分と同世代の映像作家にしようと考えて、三留さんと西葛西の印度カレー屋で侃々諤々とカレーを食べながら相談してから、手塚眞に出演を打診した。

 

手塚眞の映画は、1970年代後半の同時代から8ミリ映画の「UNK」「HIGH-SCHOOL-TERROR」「MOMENT」などをPFFや、豊島区民会館でのムービー100%上映会で見ていて、その〝面白さ〟に圧倒されていた。

雑誌ぴあがPFFを1977年に始めたこともあり、その頃は日本中に新しい映画作家が跋扈していて、石井聰亙も森田芳光も長崎俊一も山川直人も緒方明も面白い8ミリ映画を撮っていたけれど、それでも手塚眞は特別な存在だった。

 

だけど。その手塚眞がついに劇場映画デビューだと心躍らせて見た「星くず兄弟の伝説」に激しく肩すかしを食らう。

端的に書くと「星くず兄弟」は手塚眞の映画というよりバブルな気配に踊る大人達に蹂躙されてしまった映画のようにしか見えなかったからだ。

8ミリ映画であれほど面白く刺激的な映画を撮ったいた手塚さんはなぜ眇たる作家になってしまったのかという疑問をずっと抱いていて、それが「芸術と資本主義の折り合い」というテーマにつながったのかもしないけれど…

 

ということで、160分間手塚さんの顔しか映らない〝インタビュー映画〟が出来上がった。

 

結果としては〝手塚眞の個人映画史〟のような映画になったと思うけれど、作りたかった映画には近づけて

いるのではないかと思っている。

 

最後に、打合せでは手塚さんから「HIGH-SCHOOL-TERROR」の画コンテや、ほかの貴重資料を提供して下

さると言って頂いていたのに、映像素材を徹底的に排した作りにしてしまった事を手塚さんに謝ります。

『手塚眞 映像術』撮影ノートのようなもの

 撮影:北島直樹

 

このインタビュー映画の企画が久保山監督から、私のもとに来るだいぶ以前より、個人的に所有していたBlackmagic Design社(以下、BMD社)の「Blackmagic Pocket Cinema Camera」で撮影した旅動画を事あるごとに、一方的にお見せしていたという事由がまずあった。

BMD社のカメラはデジタルフィルムカメラを謳っており、RED社やARRI社のような第一線級のシネマカメラに手が出せない小規模のプロジェクトのために、それらに匹敵するクォリティを安価に提供するというもので、インディペンデントな自主映画界隈にとっては、ひとつの選択肢として一目置かれている。ただし、一般的なカメラ運用と違い、撮ったらそれでオッケーというよりは、カラーグレーディングというパソコン上での後工程で、色やコントラスト、明るさ等を調整して、画を作りあげていくということが前提され、そのため、安価なカメラにしては運用するハードルは高い。扱いが面倒くさいが、それを超える根気や時間があれば、リッチな映像が手に入れられるということである。

 

そのような先鋭的?なコンセプトに魅力を感じたのか、はたまたカメラ特性によるルックに注目していただいたのか、ある時、久保山監督から「今、企画しているインタビュー映画で、BMD社で4K撮影できる機種があれば使いたい」という話があり、同社のカメラでやるならば、撮影も担当して欲しいということになり、是非やらさせていただくこととなった。

その他の要望として、「ワンカメでの長尺撮影」、ある程度の単調さを抑えるための「スライダー等を利用した移動撮影」も可能とするものとあった。

 

BMD社の4K撮影可能なカメラということで、現行最新機種の「URSA mini 4.6K Pro(以下、URSA)」を選んだ。同社のカメラといえば、高品質なRAWでの動画撮影が可能という、最大のアピールポイントがあるのだが、これには1分あたり14GBという膨大な記録容量を必要とする。

今回のように長尺インタビューとして最低3時間を、しかも連続で撮るということになれば、1ファイルあたりのサイズも大きくなり、総記録容量2.5TB超えとなるわけで、撮影後の取扱も大事になる恐れがあったので、今回はより圧縮率が高いApple ProRes HQでの撮影とした。それでも、1分あたり6GB以上を消費することにはなるのだ。

コーデックで使用容量を節約した分、収録画面サイズは、テレビ規格の4KであるUHD (3,840x2160)ではなくて、映画のために規定された、真の4Kともいうべき、より横幅が広いCinema4K(4,096×2,160)で撮影することに決めた。フレームレートも「映画は1秒24コマ」準拠である24fps以外に考えられなかった。私もこの作品を「映画」として主張したかったのである。記録メディアは、Cfast2.0カード。URSAは、カードスロットを2つ備え、順次書き込みが可能なので、256GBで約42分、撮りながらカード交換していけば、連続で3時間を撮りきることができる目論見である。実際は、休憩時間も設けるので、数回は止めるタイミングもあるだろう。

カードは256GBを5枚用意した。収録モードは当然「Film」。階調の幅が広く、色情報を多く持つ、所謂Log収録のことである。そのため撮影後に、カラーグレーディング工程が必須となる。レンズは、汎用性の高いキヤノンの標準ズームレンズを用意した。

また、所有しているMacでの4K編集にどれだけ負荷がかかるかも懸念事項としてあったため、オフライン編集用というか、バックアップを兼ねて、外部レコーダーとして、ATOMOS社「SHOGUN INFERNO」も用意し、URSAからSDI接続して、FHDで同時収録することにした。

結局、4Kデータの編集作業で、滞ることはなかったので、この収録データは使わないで済んだのだが。

音声は、ピンマイクをワイヤレス2波で、話し手と聞き手にそれぞれ付け、受信機からURSAに直接XLR接続した。ミキサーを介さず、音声モニターも自分がやることになる。

移動ショットには、当初、三脚と雲台の間にスライダーをかますという、パーソナル撮影で定番な軽い装備を考えていたのだが、機材調達会社の助言もあり、三脚の足に車輪を取り付け、レールにのせるという、なかなかの本格的なスタイルとなった。

 

以下、主な使用機材

・Blackmagic Design URSA mini 4.6K Pro EF

・CANON EF24-70mm F2.8L ll USM

・ATOMOS SHOGUN INFERNO

・SONY UWP-D11 B帯ワイヤレスマイクロホン x 2

・LED照明 x 3

・トラッキング・レール

 

撮影本番は、やはり長時間の連続収録ということで、緊張も連続ということとなった。

意外にトラック・レールの挙動が軽くて、また自分の迷いが如実に出てしまって、何度かカメラをガクってしまった。劇映画と違い、1回きりの撮り直し不可の状況なので、かなりのピンチなのであるが、後ほど監督の編集技に救っていただくことになった。相当、体に力が入っていたのか撮影の翌日は全身筋肉痛に見舞われた。

 

撮影後、少し間を置いて、監督がApple社の動画編集ソフトFinalCutProX(以下、FCPX)にて、編集を大方完了させた。ここからカラーグレーディングでまた私の出番。

FCPXの編集データと収録素材をまるごとHDDで預かり、まずはこちらの環境のFCPXで開いて、カラーグレーディング用のソフトであるBMD社「DaVinci Resolve」で読み込めるように、編集情報をXMLファイル形式で保存する。カラーグレーディングは、FCPXでももちろん可能だが、UI的には簡易的なものと言わざるを得ないので、自分が不慣れということもあるが、細かい調整に不向きなのだ。

DaVinciの方で、前述のXMLファイルを読み込むと、FCPXの編集情報が引き継がれ、字幕やトランジションを除いたイン・アウト情報は正確に読み込まれる。

しかし、ここにきて使用していた無償版のDaVinciだと、画面サイズがUHDまでしか読み込めないことが発覚。せっかくC4Kで撮ったのに、画面の両端が削られてしまう。無償版と有償版との差異はイフェクトの多さの違いくらいの認識だったので、まさかこんな根幹のところで、機能制限があるとは思わず、梯子をはずされた気分にもなった。数万円の有償版購入も検討したが、その頃、予約注文した新発売のBMD社のカメラに同梱されてくることがわかっていたので、それはなるべく避けたく、でも実際に手元に届くのは半年以降先かそれも定かではないということで、別の方法を試すことにした。こういうソフトはだいたい、色の入出力の情報を「Look Up Table(以下、LUT)」としてファイル化することができるものなので、それをFCPXに読み込んで、もとのC4K編集データに適用させてやれば、DaVinciで作った画を反映させることができるのである。そして、このLUTファイルは、サイズがとても軽いので、メールに添付することも容易。監督と直接会うことなく、色の調整のやりとりを可能としたのである。もちろん厳密には、それぞれの環境が違うので、同じものを確認していることにはならないのだが、この作品においては全編通して被写体の変化が少ないこともあり、何度かのやりとりを経ておけば、誤差の範囲であるという見解で勧めていった。小規模な作品においては、ひとつのやり方として存分に有効かと思う。

画作りは、監督からの要望をふまえて、少し暗部を強調して、青い色調を基本として、背景の赤や青の椅子をより目立たなくするように、そこの色調だけ彩度をおさえることとした。大げさな強調もせず、かなりシンプルな画になったかと思う。

これで私の方の作業を完了とし、再び監督がトランジション、タイトルやテロップ、音関係を仕上げて無事完成となった。